12月5日記 / 川の街、盛岡。
盛岡の川の穏やかな流れは、遠くから時を運んで深くうったえてくる。
「そうですかね」とぼんやりした声がかえってきた。
川の返事の代わりなのか岩手山の方を仰いで「今日はこれから晴れますよ」と言って
しばらくして思い出したように「北上川、雫石川、中津川ですか。川はありますねえ」
とつぶやいた。
盛岡で育った人なんだろうか。そうであれば川を眺めるために歩く事はないかもしれない。
県立美術館の舟越保武と松本竣介の部屋へ。
舟越保武の婦人胸像に魅入る。
あの距離感っていうのはなんだろう。
すぐ目の先にあるのに、実際の距離とは関係ないもの。
教会の扉から祭壇までの距離のようなもの。
どんなに近づいても心の遠くにあって、けれど確かに在ると感じられるもの。
松本竣介の自画像をみながら同時に、氏のモノクロ写真の笑みを思い浮かべていた。
ゆったりと微笑んでいるのに、部分で見るとどこにも笑みなく、
右の目は見貫くように前を見つめ、左目は下に向い何かを考えている。
唇は軽く結ばれてそこにも笑みはない。けれど顔には穏やかな表情がひろがっていた。
企画展の本田健の遠野の森の気配があまりに迫ってきて震える。
たくやさんからロビーにいるねとメール。
ふらふらになってロビーへゆくと、たくやさんの笑顔が待っていた。
彼は舟越氏など常設だけをみたよう。二人とも胸に抱えたものはあるけれどすぐには話せない。
私は今日も焼肉を食べて三軒くらいは知っておきたかったけれど、
「肉、食い過ぎでしょう、体に悪いでしょう」と却下される。
ここでぐっと進みましょうよお、と一押ししてみたけど、やっぱり却下。
駅前の東屋で、たくやさんカツ丼、わたし鍋焼きうどん。
北上川沿いを歩いて、光源社 可否館へ。
盛岡の喫茶店は二軒しか知らないけど、札幌の珈琲文化と似ていると思う。
建物の設えや器、それから深煎り珈琲だということ。
懐かしいところに帰って来たみたいだった。
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北海道のお雑煮の特色に”いくらを入れる”と何かの本で読んだけれど、
暮らしていた時には、他のお家でご馳走になっても赤いつぶつぶがのっていることはなかった。
お雑煮ではないけれど、盛岡で初めて”汁物にいくら”を体験。