手をつかうこと 9月23日記
六本木、ミッドタウン。
ほんとうに久しぶり。
用事の後、芝生公園に出て歩き空を見上げる。
ウチの界隈ととても似ている、この閑散として
地の力が足りない希薄な空気。
歩きながら、母と電話。声すら遠く感じる。
横浜中華街で四川の土鍋を探したときのことを
思い出す。土鍋はもうどこの店にも置いてない
だろうと云われて理由を訊ねると、経済がよく
なって鍋など作っている場合かとみんな街に出
てお金を稼ぐようになったから、と。
土鍋は日用品で工芸とは異なるけれど、今日の
お題の”工芸を100年後まで残す”と通じる所
はある。
手の仕事、が実に少なくなったのだなあ。
わたしに何が出来るだろう。
出来ることは、ほんとうに個人的なことしかない、
台所に立って、包丁を持ち野菜を刻み、肉を切り
魚を捌き、湯をわかし、水で汚れを流し、あらゆ
る感覚を総動員して手を使うこと。
それはどこにも影響を及ぼすことはないけれど、
自分は整う。
台所に立つことは、瞑想に似て心を整えてくれ
る。
自分が整えば、端にいる人も整う可能性は・・
どうだろう、うちの場合は。
by rika_okubo7
| 2014-09-29 16:18